Thursday, February 11, 2021

第一章 ロンドン(15)

  最近はブログやYouTubeで小遣いを稼いでいるが、趣味の延長でやっている。このため仕事らしい仕事の話は久しぶりである。

 最新のブログでネコはセミリタイアしつつロンドン滞在を楽しむ様子を伝えていた。メールの相手はロンドン在住で、とりあえず近所でお茶でもしながら話をすることになった。暮らすように滞在するのが目的のため、 BBC Promsが来月始まるまで特に用事はなく、翌日の午前10時に近くのパブで会う約束をした。

 少し早く行ってテーブルにつき、スマホをいじっていると声をかけられる。

「ネコさんですか。。?」 

 50代前半のイギリス人男性だろうか。どこかで見覚えがある。

「。。。ん。。? もしかしてジェームズ・ボンドさんじゃないですか。。??」

 まさにボンド役のダニエル・クレイグそっくりだ。Kings Road界隈に住んでいるという設定だが、本当の話だったのか?

「いやまさに、そうなんですよ。びっくりしましたか?」

 こんなことがあるのだろうか。ネコは大きな目を丸々と見開き、男性を見つめた。

「それでお仕事の相談っていうのは。。いきなり本題に入っちゃいますが」

 現在のボンドのミッションは、米国が中国を相手に国際司法裁判所に提訴した件だという。米国国務省は新型コロナウイルスが中国・武漢の研究所でつくられた人工ウイルスだと主張してきた。だがWHOが同研究所にミッションを派遣して調査したものの、すでに中国は証拠を隠滅し、中国側が見せたい場所を案内しただけだった。米側が国務省や現地の大使館を通した正規ルートを使って調べようにも、結局は同じように中国のプロパガンダに利用されてしまう。

 そこで米政府はCIAを通じて、MI5など同盟国の諜報機関に協力を求めてきた。

「正面から行っても埒が明かない。別のルートで情報を集める必要がある。あなたは日本人でぱっと見に中国人と区別がつかず、完璧な発音のマンダリンを話す。米系組織に勤めていたため、米側の視点や興味・関心にも通じている。だが中国人ではないので中国政府に情報がもれる心配はない。あなたほど理想的な協力相手はいないんです」

 これは驚いた。ネコは米系組織に勤務中、スパイのお誘いを受けた時の対処法について毎年研修を受けていた。国務省職員にキューバのスパイが近づき、当時の米政策に疑問を感じていた同職員は、これをきっかけにキューバ政府に機密情報を30年間も垂れ流していたという。こうした事態を避けるための対処法を学ぶ研修であった。

 今回の仕事はこれとは逆パターンで、米国側のスパイになりませんか、というお誘いなのだろうか。

「え~~、なんかドキドキしますね。具体的には私に何をやってほしいんですか?」 

 ボンドは笑いながら言う。「映画のようなアクションをするわけじゃないので、安心してくださいね。まずは香港に行って、バイオとか医療関係の展示会や会議に参加してください。そこで発表された研究成果、プレゼン、新商品、参加者との会話など、あるいは街角で見つけたもの、なんでも構わないので、なにかおもしろいと思ったことがあれば英語でレポートを書いて送ってください」

 これならネコが以前にやっていた仕事とほぼ変わらない。こうして一見関係のない情報を集めて、CIA本部がほかの情報とつなぎ合わせて分析する、ということなのだろう。

 とりあえず来週に香港で行われる展示会に出てほしい、とボンドは言う。やれやれ、全てを忘れてのんびりするためにロンドンにやって来たのに、BBC Promsに行くこともなくアジアにとんぼ返りというわけか。いや、ダメ元でちょっと聞いてみよう。

「来月に始まるBBC Promsに行きたいんですが、その頃に戻ってきてもいいですかね。。?」

「それはちょうどいい。現地で感じたことを、その時に聞かせてください」 

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